昨日は同級生の卒業試験(公開演奏会)もあり久々にデュオの演奏会を聴いた。彼らはいつも楽譜を見て演奏していたのだが、昨夜は全て暗譜。同じ曲目を数ヶ月前に聴いたときとは全く違う演奏で、彼らは”デュオ”をしていた。国家演奏家取得コースにもちろん進むことができ、これからの彼らの演奏が楽しみ。
数週間前のコンタルスキー氏のレッスンを受けて思ったこと。
やっぱり演奏家は”作品の素晴らしさ”を披露するものであって、自分の表現、テクニックが先に出てはダメだと。「楽譜に忠実に」が私たちのテーマ。
桐朋時代に寺西春雄先生の授業で、ベートーヴェンのピアノソナタをひとつ選んで弦楽四重奏に編曲してきなさい、という課題があった。先生は全体の講評に「楽譜をよく見ていない生徒が多かったことに残念」というようなことが書かれてあったことをうっすら覚えている。
ピアノ科はピアノ譜に見なれているけれど、弦のことは知らない。それ以前にテンポ表示も無視している場合もある。作品によってはCDがいっぱい出ていて図書館などでいつでも聴けて頭に入ってしまう=自分の中で作品ができている感覚になってしまう。
でも、それはただのコピーでしかも演奏家としての意味がない。自分で楽譜を読み取って自分なりに解釈して聴衆に説得力のある演奏をしないとつまらない。ラン○ンのことでコンタルスキー氏と話が盛りあがったが、早く弾けばいいってもんじゃない、楽譜にはそんなこと書いてないじゃないか!
私たちも自分たちなりに楽譜から音を起こして、いろんな人にデュオの作品を伝えていきたいと決心した2007年の4月。
*寺西春雄先生について
先生の略歴を、と検索していたら素晴らしい文章に遭遇。斎藤秀雄について書かれてあるが、その中に楽譜の重要さの文章に納得。桐朋女子高等学校音楽科(共学)の謎も。
寺西先生の略歴はこのページの一番最後に記載。
斎藤秀雄その音楽家としての歩み