ムジカノーヴァ10月号にハイドンのソナタ(D-Dur Hob.XVI/37)第1楽章について書きました。
楽譜を読むことは目途がついていたものの、まとめるのは後にしよ~なんていつものように言っていたら、ちょうどしめきりとタイミングよく子どもがうまれ、大混乱のなか一気に夜中書いたもので、すこしあやしかったり・・それにしても、ハイドン大好き。うちで聴くのはハイドン1/2、モーツァルト1/4、残り1/4をその他の作曲家、といったところです。
ソナタアルバムにもあるこの曲はとても有名ですが、改めて作曲者の意識的あるいは無意識的な工夫に驚かされます。また第2楽章のバロック風、第3楽章のハンガリー風というセットが彼の主人であるエステルハージ侯を連想させることから、D-Durの祝祭的な響きを持つ第1楽章にもその反映がありそうです。筆の走りというか、最初の着想から泉の湧くように流れ出る音楽から、作曲することの喜びも感じました。
最近別に調べていたショスタコーヴィチとの関係も書き忘れたし、様々なところに隠れているモチーフも指摘し忘れるし・・と、こちらも筆の走りで終わってみればいろいろ置いてきてしまいましたが、お読みいただければ幸いです。