ブラームス:ピアノ四重奏曲第3番の第3楽章は、彼の傑作揃いの室内楽曲のなかでも特に素晴らしいものだと思う。最初から最後まで、全ての音が言葉を持っているようで、いつもは霧の中に身を隠してしまうブラームスの人と出会うことができる。今週、ちょうど分析授業でとりあげて、学生たちの演奏を聴きながら喜びにもだえてしまった(一人で赤面しながら)。
ブラームスの言葉:In meinen Tönen spreche ich (1868年9月、クララへの手紙より)が思い出される。この頃、クララとの関係は非常に難しくなっていて、彼自身の中で大きな葛藤が起こっていただろう。この年、気まずさの中でクララへの誕生日(9月13日)に言葉の代わりに送られたのが例のアルペンホルンの旋律(交響曲第1番第4楽章)だったし、交響曲とともに長く中断していたピアノ四重奏曲第3番を再び完成させる意志を持ったのもこの年だったという。
K音の1年生(先日とは別の子たち)の副科ピアノクラス―国立の副科は集団レッスン―で、モーツァルトの変ロ長調ソナタを聴いていた学生が「音が会話してる!」と言ってくれたのは本当にうれしかったなあ。ソナタには歌詞もダンスの振り付けもついていないけれど、確実にメッセージを送ってくることに気づくと音楽が楽しくてしょうがなくなる。
ああ、そしてやってくる第4楽章との落差に身が持つだろうか・・この楽章を演奏する予定のチェロの子が「これ、どうしよう・・・・」と悩んでいた。この楽章で終わってしまう分析授業も、一面の荒れ野のような姿で幕引きとなり、うーん、どうしよう・・